●マイヤー・ランスキーと親しいユダヤ・ギャングの殺し屋べンジャミン・シーゲル(別名バグジー)は、禁酒法時代にウイスキーの密売と麻薬で稼いだ資金を基にネバダの砂漠の中にギャンブル王国を築いた。組織犯罪全盛期に儲けた資金のその他の部分は、ハリウッドの映画制作会社に注ぎ込まれた。
べンジャミン・シーゲルは、ラスベガスをつくったユダヤ人として、アメリカ犯罪史および文化史に名を残すことになった。(後にシーゲルはランスキーによって「排除」され、ランスキーがラスベガスのボスになる/1947年6月。シーゲルの遺体はハリウッド共同墓地に埋葬された)。
ちなみに、彼の生涯は1991年に映画化されている。
(左)ユダヤの殺し屋ベンジャミン・シーゲル(別名バグジー)
(右)彼がつくったラスベガス(ホテル「ザ・フラミンゴ」)
1947年6月20日、べンジャミン・シーゲルは愛人の
邸宅に居るところをヒットマンに銃撃されて殺された
『バグジー』(1991年制作)
(ウォーレン・ビーティー主演)
何もなかったネバダの砂漠に、ネオン輝く
ラスベガスを作った実在の人物、ベンジャミン・シーゲル
(別名バグジー)の半生を描いた作品である
●禁酒法時代にあっても、ユダヤ・シンジケートは、イギリスと秘密の特別な関係があったおかげで大いに繁栄した。
カナダやカリブ海にある引き渡し地点までスコッチ・ウイスキーを自由に配送することができる「イギリス酒造評議会」を支配していたのは、ほかならぬウィンストン・チャーチル(後のイギリス首相)その人であった。そして引き渡した地点からはランスキー・シンジケートの所有する船が、極上の酒をアメリカへ運び込んだ。当時の警察の記録は、アメリカの東海岸や五大湖の湖岸線を支配していた「ユダヤ海軍」について言及している。
イギリスのウィンストン・チャーチル
■■第4章:「全米犯罪シンジケート(NCS)」
●人種間でバラバラに仕切られていたアメリカのマフィアを統一したのは、ほかでもないユダヤ系であった。それまで「殺し・抗争」だったアメリカのギャングのあり方を、「金・協調」という方向に変えたのである。
ユダヤ・ギャングの大ボス、マイヤー・ランスキーは、その勢いが最も強かった頃、悪名高いシシリー・マフィアを完全に支配していた。このシシリー・マフィアも「全米犯罪シンジケート(NCS)」に加わっていた組織の一つであった。
ユダヤ・ギャングの大ボス
マイヤー・ランスキー
●「全米犯罪シンジケート(NCS)」は、フランクリン・ルーズベルトのニュー・ディール推進機関で全米の公共事業の監督に当たった「全米復興庁」を範にとり、「合法的」組織犯罪を目指すランスキーの夢に沿ってつくられた組織である。「全米犯罪シンジケート」の地方組織の構成方法は「全米復興庁」のやり方の模倣であり、意志決定は等しくそれぞれの地方組織を代表する「全米委員会」で下された。
「全米委員会」はニューヨーク、ニューオーリンズ、シカゴのような伝統的にギャングの中心地であった主要都市だけではなく、全米のすべての地域社会に組織犯罪を拡めることを目的として組織されていた。また「全米委員会」は、犯罪シンジケートへの法規制強化と国民一般の反感をもたらす可能性があるギャングの抗争を未然に防ぐ自警団組織をつくる狙いをも持っていた。禁酒法時代のシカゴにおける「カポネ戦争」は犯罪シンジケートを著しく弱体化させたが、ランスキーはこのような些細な抗争で自分の大計画が潰れることのないよう心掛けたのである。
●ランスキーは1930年代を通じて、彼のあり余る資金を投入できる新しい市場を獲得するのに忙しかったが、彼の非合法な活動の主たるものは、ありとあらゆる種類のギャンブリングであり、その経営には綿密な計画と自己規制が求められた。
ランスキーはこの仕事を見事にこなし、ボス中のボスと呼ばれた。彼のリーダーシップには狂いがなく、彼はマフィアの頂点に立ち、ギャングの世界における権威となった。ランスキーは、アメリカ最大の犯罪組織「全米犯罪シンジケート」の会長として、50年間もこの組織を運営し続けた。
ボス中のボスとして、マフィアの
頂点に立ったマイヤー・ランスキー
●1940年7月、アメリカとイギリスの情報部は、いわゆる「暗黒街工作(オぺレーション・アンダーワールド)」を始めた。
この「暗黒街工作」の目的は、シシリー上陸から開始する将来のヨーロッパ攻略に備え、シシリー・マフィアの中でこれはという人物を連合国側に取り込むことであった。この時に、ランスキー、ルチアーノの両人はアメリカ海軍情報局の情報提供員として働いた。
今世紀における麻薬(ヘロイン)交易の復活を助けたのは、この時のアメリカ大統領ルーズベルトとランスキーとの間に交わされた密約だった。ランスキーは、戦争中に東海岸を守り、のちにはフランスの港湾の独占権を社会主義者の手から奪い取ったことと引替えに、ヘロインの密輸を免除されたのである。
また、この取引の一部として、ルチアーノが第二次世界大戦後に釈放された。彼はすぐに、キューバにヘロイン密輸の根拠地を設立する行動に移り、のちにはマイアミのサントス運輸に支配権を移した。
第32代アメリカ大統領
フランクリン・ルーズベルト
●『ヘロインの政治学』の中で、アルフレッド・マッコイは次のように語っている。
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